インターネット

僕の人生の7割ぐらいがインターネットです。

インターネット: Internet[† 1])は、インターネット・プロトコル技術を利用してコンピュータネットワーク間の相互接続を行うことにより実現される、コンピュータネットワークを節点とする巨視的なネットワークを指す用語である。 

 よくわかりませんね。僕はインターネットは文化だと思います。普段から思うことがあるのですが、まとめる機会がないのでインターネットについて思うところを脱線寄り道しながら書いていこうと思います。完全に気まぐれです。最後まで書けるといいですね。サンプルは僕の周りの狭い界隈です。

 

思い出

 僕のインターネット生活はおもしろムービーズから始まりました。みなさんも多分知ってますよね。マイヤヒ~とか死ね死ね団とか。先輩達がこぞって見てるのを僕たち後輩は後ろで見てました。小3の時に我が家にPCが初めて来たのですが、ずっとおもしろムービーズを見てたように思います。おばさんが「それほんとに無料なん?」と言ってたのが記憶に残ってます。

 それからハマったのはぱんぞうですね。これは知ってる人が少ないかもしれません。ミニゲーム集みたいなサイトです。ぷにぷにの星とかはまってました。所謂育成ゲームです。あとはニコニコ動画、0銭ゲーム喫茶、あたりですかね…。書こうと思えば無限に書けるのですが、切りがないのでやめておきます。

 

 ここまでは僕個人で楽しむものでした。なにもかも変わってしまったのはスカイプを導入してからです。もともとは友人のMくんと個人チャットをするのに導入しました。厳密に言えばインターネットで赤の他人と交流し始めたのは「もなちゃと」というサイトかもしれません。2ちゃんねるアバターを選択して部屋に入ってチャットをするサイトです。まだ続いてるので、一回行って見てください。発情した女子小学生が多くて面白いです。少し脱線します。

 

2ちゃんねる

そういえば中1の時から2ちゃんねるをよく見ていました。2ちゃんねるを見ていたといっても、主にまとめブログです。はっきり言って、僕は2ちゃんねるが嫌いです。

・無駄に攻撃的

・無駄に差別的

・選民意識

・常に斜に構えている

などなど、ちょっと大人な中学生のような人たちばかりです。

懐疑主義とはどういうものですか? - 懐疑主義とは全てを疑ってか... - Yahoo!知恵袋

要はひねくれガキですね。

 

まとめブログ

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 この風刺画、有名なので知ってる方も多いと思います。人間が物事を恣意的に一部切り取ると、印象が全く変わってしまうという面白い絵です。マスコミ批判などの文脈でよく貼られます。

 まとめブログは(2ちゃんねるは?)マスコミが嫌いです。偏向報道をするから。インターネットにおける情報の問題は大きすぎて僕には書けないですが、まとめブログもマスコミも大して変わらない、ということだけは指摘できます。「管理人が選んだ記事」の「管理人が選んだレス」を切り取って、「あたかもネット世論全体のように構成する」お金が動くのも仕方がないと思います。以前、アニメ会社アフィブログがずぶずぶだ、と話題になりましたよね。

 まあ、僕がまとめブログを許せない最大の理由は、切り貼りしているだけで年収何十万とかおかしなことやっとるからです死ね。

 

思い出の続き

 スカイプちゃんねる、というサイトご存知でしょうか。読んで字のごとく、スカイプの掲示板です。スカイプIDと募集分を書き込むor書き込んであるスカイプIDにコンタクトを送ることが出来るサイトです。まあ出会い厨ばかりなのは言わなくてもわかりますよね。

 なぜ出会ったのか覚えていませんが、中3あたりでこのクソ掲示板に出会ってズルズル3年間ほぼ毎日(そんなこともないかも)してます。ツイッターをしてない頃はスカイプちゃんねるをツイッター代わりに使っていたので、自分のIDを検索すると4桁ぐらい出てきます。恐ろしや。

 スカイプちゃんねるとの愛憎相半ばする関係はここには書ききれないです。異性と出会い厨したり、固定会議を作ったり…。恥ずかしいので書きません。

 

ツイッター

僕はスカイプちゃんねるの人たちと関わっていたので、最初クソガキ界隈にいました。知能レベルがとてもとても低い人たちで、人間ここまで馬鹿になれるのか~と逆に感心する毎日でした。ふと思ったことがあるので脱線します。

 

インターネット用語

転生、というネット用語があります。

転生(てんせい, てんしょう)とは、

  1. 生まれ変わること。輪廻。本記事で述べる。
  2. 環境や生活そのものを一変させること。

 

 2、の意味で用いられているのでしょうが、僕は感覚的には1の意味の方が正しいと思います。僕はインターネットは一つの文化だと思っているのですが、文化で一番重要なのは言葉です。転生、というのは文字通り一度死んで生き返ることだと思います。ドーキンス博士のミームや、精神分析の象徴的な死、のような意味での死ということです。

 僕も所謂転生は何度もしているのですが、関わる人はほぼ全員入れ替わりますし、自分の性格すら変わってしまうような気がします。記憶喪失のおばあちゃんが見知らぬ土地で暮らしているような感じ、といえば少し大げさですね…。死ねない人もよく見ます。住所や顔や学校を晒されても死ねない人。

 と、いうことはアカウントをいくつも持っている人は生が分裂しているということです。「アイデンティティーの拡散」のような心理学用語を使えばしっくりするような気がしますが、あまり意味ないと思います。性格が分裂している現象が存在しているのは確かです。あまり大きな声では言えないのですが、僕も匿名や、自分に責任がないようなアカウントだとかなりぞんざいな言葉遣いになったりします。まあこの辺は社会学者がなんか言ってるでしょう。おそらくネット内での分裂より、リアルとネットの人格が分裂してる方が問題でしょうね。「私にはネットがあるからいいもん!」ということも起こりやすいと思います。

 

 僕がさっき車の中で思ったのは「顔」の問題です。ネットは顔が見えないので、感情が伝わらずに誤解の元になって危険だ、ということは従来から言われてますよね。それとはまた別の話です。

 顔は”何か”を伝えますが、言語化や数値化することができません。笑顔30パーセント無表情70パーセントのように、デジタル化することができません。しかも個人固有のものです。

 僕はツイッターのアイコンは顔だと思うんです、全く表情筋の動かない。アイコンを変えるとツイートの内容や気分が変わるって人結構いると思います。暗い気分の人は暗いアイコンにします。明るい人は明るいアイコンにします。"表情筋の動かない顔"ということで本人にも他人にもなにかしら影響があると思います。残念ながら僕はアホなので詳しく掘り下げることができません。

 

・インターネットにはいることは海外へ行くようなものだ。

・インターネットと自己愛

 

あたり書こうと思ったのですが飽きたのでやめます。

今からインターネットの海にこれを投稿します